よっしゃああああああ!
どうも、下民愚(げみんぐ)です。
IT業界で勤務して21年。
前回と同様に、下民愚の経歴を書いていきたいと思います。
就職氷河期に新卒でブラック会社に入ってしまい、4月から毎日出社してたのに、給料貰えたのは9月。
経歴詐称を強要され、初現場が決まったのが前回までのお話です。
そして、初現場から地獄を味わいました。
今回はブラック会社がまかり通った当時のIT現場の事をお話したいと思います。
先に結論を書くと、ブラック企業に入って得たものは「あの頃に比べたら、今はまだマシ。恵まれてるな」と思える所です。
心が強くなりました。
昨今、新卒で入って辛かった人も「これよりはマシだ」と思えて貰えれば本望です。
2000年代前半のIT業界はこんな感じでした、と思って読んで貰えればありがたいです。
✅ 前回の記事はこちら
ブラック企業のIT企業の初現場
初現場の経験
前回経歴詐称を強要され、スキルシートを捏造させられ、1年半の経験がある前提で初現場が決まった下民愚。
当時天王洲アイルにあった現場に配属が決まりました。
一応、最初の現場は中途で入った先輩がお一人、お先に1ヶ月だけ勤務している場所になり、質問できる人はいました。
この先輩も別業種から転職して、経歴詐称させられたのは同じなんですが、経験1年で4年勤務してる設定でしたね。
※確か、元バンドマンの方。
右も左も分からない下民愚には、ただ一人教えを請える先輩で、全幅の信頼を寄せておりました。
今考えれば、その先輩も経験して1年で、人生を舐めている、なんの役にも立たない若造に教えなくてはいけないとか、大変だったと思います。
人生を舐めている若造でした。本当に。

お優しい方で、懇切丁寧に教えてくださって、最初の現場で唯一いい思い出です。
その節は、本当にすいませんでした。
ありがとうございました。
業務内容はICカードの読み込みテスト
業務内容はICカードの読み取りテストでした。
Javaで動いていたような気がします。
試験書は他の方が作ってくださってたので、とりあえず黙々とICカードをピタッとくっつけて、PC操作を繰り返す下民愚。
2週間位黙々とテストを続けていました。
まあ、新卒なんだから、なんでもやらせて貰えるだけマシだとは思います。
新卒には良い経験だと思います。
ただ、2週間経った頃、バグが多くてテストを行っている場合じゃなくなったらしく。
下民愚も開発(プログラミング)を手伝う事になりました。
まあ、4ヶ月程プログラミングの研修は受けてたのですが、進行は物凄く遅かったです。
すいません。
それ自体はいい経験させてもらってありがたいのですが、いよいよチーム全体で開発が追いつかなくなり、3週間目には終電までの残業が発生してきました。
ここから、1ヶ月半、ずっと終電帰りです。
ずーっとずーっと、毎日毎日終電帰り。
2週間経った頃には土曜日も出勤。
新卒には辛くないですかね?(現場のお客様的には経験1年半と言う設定でしたが。)
ある平日、疲れてボーッとしてしまい、靴をオフィスに置いて、フロア用のスリッパを履いたままオフィスのビルの外に出てしまいました。
そのオフィスは22時以降はもう一度建物に入ることはできず、スリッパ履いて、泣きそうになりながら、満員電車の中を帰宅した事を覚えております。
辛かったですが、若かったですからね。
なんとか開発完了まで3ヶ月、乗り切りました。
キリも良かったので、次の現場の面接を受ける事になりました。
初ボーナスは2万円!(2年目以降も3万円固定)
さて、12月になりました。
サラリーマン的には待望の季節、ボーナスシーズンです。
下民愚もいくら新卒とは言え、10万~20万円貰えるのかな?とワクワクしておりました。
当時の月給は額面18万円、手取り14万円。
10万円も貰えれば、全然満足です。
そして、ワクワクしながら給与明細を見た所、2万円の文字が印字されておりました。
いや、入社した会社はボーナスは年末の年1回のみ。
あれか?
給料貰い始めたのが9月からだから、もしかして3ヶ月しか働いて無いから、そのせいか?
と思ったのですが、結論言うと、2年目も3万円でした。
学生時代のアルバイト代よりも少ないボーナスです。
この会社、やっぱりおかしいよな?と当然思っていたのですが、新卒で別の会社に転職する事も難しい現実があります。
また、当時母ちゃんから「最初に入った会社はどんなに辛くても4年は続けな」と言われていました。
まあ、言いたい事は分かるのだが、母ちゃん。
母ちゃんの時代には分からない感覚かも知れないけど、ITのブラック会社はヤバいんだよ、と心の中では思っておりました。
※結局5年近く勤務したのですけれども。
因みにこの会社、当初は健康診断もありませんでした。
一般的な企業には日本国の法律で義務付けられた、健康診断です。
3年目から導入されたのですが、新卒の同期とは「我が社にもついに画期的な制度が導入されたな!」と話した事を覚えています。
2現場目からは一人で勤務(泊まりも発生)
さて、2現場目からは経験3ヶ月新卒ですが、一人でお客様先に出向になりました。
先輩もいません。
今考えると、お客様の評判にダイレクトに響く社員の派遣について、新卒一人で送り込むの?と思うのですが、そういう会社なんです。
業務内容は在庫管理システム
確か、プロジェクト内容は服飾系の企業の在庫管理システム、でしたっけね。
プログラム言語はJavaでしたが、DBにポスグレ(PostgreSQL)を使ってたのを覚えています。
ただでさえ、新卒でSELECT文でも一杯一杯だったのに、確かこのPostgreSQLってのは、分岐条件も書ける複雑なもの。
この現場でしか使った経験がありませんが、もう訳分からん、と苦労した事を覚えております。
忙しくて現場に泊まりながら仕事
さて、プロジェクト自体は鉄火場、毎日終電です。
※その頃のIT業界はこんなのばかり。と言うか、自社の営業力が弱すぎて、そういう仕事しか取れ無かったんだと、今は思います。
しかも、ついに初経験、現場に泊まりながら、朝から晩までの作業が発生してきました。
9時から深夜3時まで働き、深夜3時半に段ボール敷いて就寝。朝8時半に起きて、また働く。
トイレの手洗い場で、シャンプー、洗顔してました。

よく体力保ったな、と思います。
20代前半だから成せる業ですね。
因みに、こんだけ働いても、自社の制度は「残業代無し」なので、月給は変わりません。
地獄ですね。
でも、無職にはなりたくなかったので、その一点のみで、頑張りました。
しかし、23歳の若造にこんな事やらせるお客様側も、悪いですよね。
休日は社長の娘のバレーの発表会を鑑賞
平日はそんな目が回る忙しさで、休日出勤もしながら働いておりました。
しかし、ある日自社に帰社して、社内報告をしていたとき、社長から話しかけられ、次のような会話がありました。
社長:「バレエは好き?」
下民愚:「いや、見たこと無いので、判りません。(興味無いな…)」
社長:「そうか。バレエはいいよ。芸術だし、見た方が良い」
下民愚:「そうですか。今度機会があったら、行ってみますね(興味がない)」
社長:「そうか。因みに今度、娘のバレエの発表会があるんだ。見てみないか?チケットは無料であげるよ。私が払うよ。」
下民愚:「え?あ、はい、わかりました。是非行かせてください(行きたく無い)」
新卒で、しかもその頃の下民愚は真面目で、気が弱いので、断れず筈も無く。
因みにこの手法で、他に10数人の社員が休日に呼び出されてました。
日々、泊まりながら開発をし、たまの休日はゆっくりしたかったんですけどね。
そんな貴重な休日に見に行った「バレエの発表会」は、言葉が悪いかも知れませんが「お遊戯会」でした。

要はお客が少ないから、賑やかし要員として呼ばれたんですよね。
今の時代、こんな事許されないと思うのですが。
無給で朝5時からお花見の場所取りさせられた前回も同様なんですけどね。
まとめ
初現場から終電帰りの毎日。
ボーナスは2万円。手取りは月額18万円(手取り14万円)。
2現場目からは泊まりで1日18時間仕事(どんなに働いても残業代は出ない)。
挙げ句には休日に娘のバレエの発表会を見に行かされる始末。
いやー、今思っても、ブラック企業ですね。
皆様は、これから入る会社は吟味して、絶対にこういう会社には入らないようにしましょう。
もしこういう境遇の方がいたら、今すぐ転職を考えて下さい。
今の時代は転職も難易度低くなってきましたからね。
次回はお客様のテンションが上がると、灰皿とボールペンが飛んでくる現場、この会社を去る時の事を書きます。
それではまた、泥水を啜りながら、お会いしましょう。
ごきげんよう!
※本記事は筆者の実体験をもとに執筆したものであり、特定の企業・団体を誹謗中傷する意図は一切ありません。当時のIT業界の状況を振り返り、今の働き方を考える一助になれば幸いです。


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